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  • 執筆者の写真Koji Ishida

上京物語〜デザイナー〜

僕のファッションデザイナーとしてのキャリアはほぼレディースブランドがメインだった。 意外って言われることも多い。でもデザイナーって2パターンいると思うんだ。 1つは自分の為にデザインするタイプ、もう1つは相手の為にデザインするタイプ。 僕の場合は後者で、自分の服のことは案外どうでもよくて、誰かの為に考えるのが好きだった。 特にファッションの場合は、メンズよりもレディースの方が圧倒的に服の種類も多いしおもしろい。 最初は自社ブランドのアシスタントデザイナーからはじまった。

そのデザイナーはなかなかバブリーな人でイケイケで、付いていくのは大変だったけど、 おかげでデザイナーたるものっていうのは叩き込まれた気がする。 いつのまにか僕はそのブランドのデザイナーを任され、自分の考えた服は割とすぐに世に出た。


自分のデザインした服を初めて見たときは本当に嬉しかった。 その後、グラフィックデザインを覚えた僕は、Tシャツのプリントデザインなどを作って、 OEMの企画&営業もするようになった。 多分、色んなブランドのニーズに答えるのが合っていたんだと思う。 「もうここで吸収出来ることはないかな」 生意気な僕は1年半くらいで最初の会社に見切りを付け、別の企画会社に転職した。 次の会社ではさらなるグラフィックのスキル(Illustrator&Photoshop)を求められ、 僕はすっかりMacなしでは仕事が出来なくなっていた。 今となってはこのスキルが僕の武器になっている。 なぜなら、お店に関わるデザイン(ロゴ・名刺・フライヤー・メニュー・ホームページなど)は今も全て自分で作っているから。 ちなみに一番最初に買った黒いMac Bookが未だに一番のお気に入りだ。


Mac Book Black (My favorite one)

色々なコネもあって、個人的にデザインを依頼されるようになった僕はフリーでも活動し始めた。 この業界、コネクションが全てと言ってもいいくらい人付き合いが大事で、 飲んでる席とか遊んでるときに出会いがあって、仕事に繋がることも結構多かったりする。


ファッション業界は特に流行に敏感で、スピードも早い。常に先を見ていなきゃならない。 だからどれだけアンテナを張って、フットワーク軽く動けるかがキーになってくる。 黙って待ってても仕事なんか来ない。自ら動くしかないんだ。

初めてフリーデザイナーとして仕事をして、ギャラをもらったときは本当に嬉しくて、 何かカタチに残そうと自転車を買った。(当時東京は空前の自転車ブームだった)


LOUIS GARNEAU LGS-FIVE

そんな夢のデザイナーとして、また社会人として約2年間働いた僕は、 「せっかく東京にいるんだから、なんかやってやろうぜ」と、 同じくデザイナー志望で、同じタイミングで東京に出てきたドレメ時代からの友人を誘った。

これぞ田舎ものの発想。勢いだけはあった。 でも東京っていう街は日本の中心だけあって、


そんな意欲とかエネルギーに満ち溢れた人が色んなところから集まる刺激的な街なんだ。

僕らは腹を決めて会社を辞めて、二人の貯金を資本に独立した。 そう、これがバイクチーム改めアパレルデザインチーム「チームシャミ」の結成だ。

こうして北海道から夢を描いて出てきた二人の壮大なプロジェクトが始まった...

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