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執筆者の写真Koji Ishida

一時帰国〜親友の死〜

「わたなべこうすけ」 彼と出会ったのは幼稚園のときだから5歳とかそんな頃だろうか。 あれから30年以上の時が流れているのに、未だに当時の記憶は残っている。 彼の家の前で秘密基地を作ったり、それくらい幼稚園のときにはよく遊んだ仲だった。 卒園した僕らは別々の小学校に通うことに。 学校が違うとやはりだいぶ会う機会は減ってしまったけど、お互い野球をやっていたのはなんとなく知っていた。 中学校へ上がると僕らはまた偶然にも同じバスケ部に入っていた。 隣の中学校だったから、バスケットゴールがある近くの公園や練習試合で顔を合わせることも多かった。 でも、思春期な僕らはもう話すような仲ではなくすっかり疎遠になっていた。 高校に進学するとなんと彼は同じクラスにいた。 たまたま同じ高校を選んだというのか... こんな奇跡的な再会があるだろうか。

「コージだろ?」 人見知りでまだ高校生活に慣れない僕に一番最初に声をかけてくれたのが彼だった。 でも僕は誰だかまだ分かってなくて「誰?」と返してしまった。 名前が漢字になっていたからだ。

「渡邊宏輔?わたなべこうすけ??コースケか!」 ひらがな8文字のイメージが強かった僕は家に帰って幼稚園のアルバムを引っ張りだした。 そして次の日から僕らはまた昔のように一緒にいるようになった。 学校にも毎日一緒に通った。

無断で帰って次の日2人の席がなくなってたこともあった。

先生に呼び出されることもしばしば…

本当に親には迷惑かけてしまったと今は思う。

でも、当時は家族以上に友達といる時間が楽しかった。


彼は僕らの仲間の中ではいつも中心にいてリーダー的存在だった。

センスも良くてカリスマ性も高く、同世代ではかなり知名度もあった。

今でもリスペクトしている。


「いつかみんなで会社でも起こして、好きなことやろうぜ!」

そんな夢をいつも一緒に語ってた。

「だったらうちのアパートでやろうぜ!」

そう、実はこの屯田店がそんな夢の舞台だった。




とある朝、滅多に来ない親友からの着信があった。


国際電話は高いから電話しないでと日本の友達には言って来たから、 多分ロンドンで受けるはじめての電話だった。


なんだろう?日本にいる親友に折り返した。


「コースケ、死んだ」


なんでだよ。 頭が真っ白になった。


「どうしよう、俺ロンドンにいるし…」


一時帰国するつもりなんてなかったから金銭的にもそんな余裕はなかった。 間に合うかどうかも分からない。

でも、今帰らなきゃ一生後悔する。


「ちょっと日本帰るわ!」

僕はフラットメイトにそう伝えて後のことは考えず、無我夢中で空港へ向かった。

ヒースローから12時間かけて東京成田へ。

そこから羽田に向かって2時間で千歳。 札幌に着いたのは15時間後だった。

待っていた友達の車に乗り込み、そのまま通夜へ。 なんとか間に合った。 密葬にしていたはずの葬儀場には人が入りきらず、外まで長蛇の列だった。

最後まで彼の人望の厚さを見せつけられた。 僕も含め仲の良かったやつは沖縄、東京から駆けつけていた。 昔のように彼のそばで朝まで飲んだ。 次の日、彼は灰になった。 我慢していた涙が止まらなかった。 とある友人に言われた一言が今も忘れられない。 「お前らが札幌にいたら、こうはなってなかったかもしれない」 確かに... 仲の良かった僕らは彼一人を残して地元から飛び出していたからだ。 「コースケ、俺がずっと札幌にいたらまだ生きていたのかな...」 最後にあったときに彼は笑いながら言っていた。 「社会人になった俺は今も社会に反発して生きてるよ」 一生忘れない。

「お前ならどうするよ」 何かに行き詰まった時はいつも彼のことを考える。 「お前が生きていたら、もしかしたら本当に一緒に会社でもやっているのかもな」 そう思って僕は今日も彼の分まで頑張ろうと思う。 彼は僕の中で今も生きているから。




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