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執筆者の写真Koji Ishida

ROCKER AND HOOKER

更新日:2019年5月21日

めざせ!東コレ! と言っても一体何から始めていいのか... とりあえず、僕らは自分たちのなりたい肩書きを付けることにした。


Designer Keisuke Nakano Director Koji Ishida 不思議なもので言い張れば自然とそれに近づいてくるんだ。 作品作りは中野に任せて、僕は彼の世界観を演出&宣伝する役割だ。 「デザインとは?」という質問に対して中野が「無駄」と言ったのはかなり印象的だった。 僕は「機能性」と考えていたので僕らの考えは本当に真逆だった。 彼はデザイナーというより生粋のアーティスト肌だったんだ。 そんな僕らが友人であるのに関わらず、パートナーとして上手くやっていけたのは、


お互いないものを持っていて、さらにこの役割分担がハマったからなんだろう。 どんな仕事でも仕事は分業した方が絶対に効率が良い。

まずは、自分たちのやっていることをより多くの人に知ってもらう為、展示会を開き、 そこでオーダーをもらうという、僕が培ってきたアパレル業界らしい仕組みを作ることに。 作品を作り、モデルに着せてスタジオで写真を撮って、カタログを作った。 デザイナーもモデルもカメラマンも、皆夢見る駆け出しのたまごが集まっての作品作りは楽しかった。


僕らが作る服は限りになくアートに近く、高いものだと10万円以上のものもあった。 そんなに簡単には売れない。 だからアートとして魅せるコレクションラインと、商品として落とし込むセカンドラインを作り、 色んなブランドとコラボして商品を企画・展開していった。

IID GALLERYでの展示を始まりに、IFF (INTERNATIONAL FASHION FAIR)、UNDERといった

大きな合同展示会にも出展した。 また、お互いの人脈をフルに使い、都内のクラブイベントで展示・宣伝させてもらったり、 とにかく自分たちの作った服を持ってあらゆるところに出没した。

でも、気づけばあっという間に100万くらいあった二人の資金は底を尽いてしまった。 そんなとき、奇跡が起きた。 なんと、スポンサーになってくれるという人が現れたんだ。 某有名音楽事務所の社長だった。 こうして僕らは某有名音楽事務所と異例のアーティスト契約を交わし、 がけっぷちな状況から這い上がった。 嘘みたいな話だけど、東京っていう街はそういう街なんだ。 信じられないくらいのお金持ち、芸能人、モデルが普通にいれば、浮浪者もたくさんもいる。 僕らみたいなのを面白いと思って、抱えたい変わった人もいるんだ。 その社長は音楽はもちろん、ファッションもかなり好きな人で、 自分の趣味でやっているようなセレクトショップも持っていた。 それが当時は中目黒にあった「ROCKER AND HOOKER」だった。


僕らの作る服はそこで置いてもらえることになったと思ったら、 いつの間にか、そのSHOPの運営まで任されることになった。..

いきなり自分たちのお店まで出来るっていう夢みたいな話だ。 僕らの夢はもの凄いスピードで動き出した。



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